昔は庶民がグローバルを目指して権力者がローカルで押さえつける感じで、今は逆になっているそうです。

グローバル時代の格差拡大とダボス会議が抱える矛盾 | 冷泉彰彦 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2018/01/post-970.php

一部そのような記述がありまして、たしかにそのような流れもあったのかなと思いました。いろいろな条件が変わることで求めているものが変わっているということなのでしょうが、改めて考えると皮肉というかなんというか、結局その時々みんながみんな各々幸せになりたいという思いだけで、その方法がわかりにくくなってまとまらなくなってあーだこーだ言って不幸せな人が増えているという感じになっているのかなと思います。もっと単純に平等に幸福になれるようにできたらいいと思うんですが、それができたら苦労はしませんね。

ベーシックインカムだっていいとは思いますが、働くなって暇になり、だれからも必要とされないような状況が続くとなるとそれはそれで不幸だともいわれますし。難しいところです。